ラフカディオ・ハーン:松江、熊本、焼津
ラフカディオ・ハーンの日本は、松江城と出雲大社から、熊本、焼津、そして「怪談」の「耳なし芳一」の舞台である下関の赤間神宮まで続く。 このルートは、教師であり作家でもあった彼の歳月をたどる。松江の武家屋敷、「こころ」に出てくる駅の場面、彼が書いた漁師町、そして芳一の像を守る神社である。ハーンは熊本の駅の名を書いていないため、そのピンは大まかな位置である。
ラフカディオ・ハーンの日本は、松江城と出雲大社から、熊本、焼津、そして「怪談」の「耳なし芳一」の舞台である下関の赤間神宮まで続く。 このルートは、教師であり作家でもあった彼の歳月をたどる。松江の武家屋敷、「こころ」に出てくる駅の場面、彼が書いた漁師町、そして芳一の像を守る神社である。ハーンは熊本の駅の名を書いていないため、そのピンは大まかな位置である。
学者・詩人の菅原道真は、今日では天神として祀られている。平安宮のある京都で頭角を現し、九州の大宰府に流され、大宰府天満宮に葬られた。京都の北野天満宮は彼のために建てられた。 このルートでは、文章博士から讃岐守、901年の左遷、903年の死、そして恐れられた怨霊を学問の神に変えた神社までの道真の歩みをたどる。二つの神社は訪れることができるが、平安宮と配流の地はおおよその位置である。
1274年と1281年の元寇(蒙古襲来)は、対馬、壱岐島、福岡の博多湾で戦われ、台風が船団を襲った鷹島沖で終結した。 このルートでは、2度の襲来を順にたどる。1274年の対馬と壱岐への上陸、博多湾での文永の役と筥崎宮、その後に築かれた石の防塁、志賀島沖に停泊した船団、そして1281年8月15日の嵐である。おおよその位置にとどまる場所も多く、鷹島での出来事の正確な場所は、島の一帯としか分からない。
村上春樹の『羊をめぐる冒険』は1978年の東京と北海道が舞台で、首都の広告代理店から札幌、旭川、そして北の孤立した一軒家へと物語が進む。 このルートは、星の印のある羊を探す「僕」の旅を5つの場所でたどる。作中で名前が出てくるのは東京と札幌だけなので、その後の場所は実際の舞台についての読者の推測に基づいている。いるかホテルと鼠の別荘は架空のものだ。
白瀬矗は1910年から12年にかけて、日本初の南極探検隊を率い、小さな船「開南丸」でウェリントンとシドニーから棚氷、鯨湾、キング・エドワード7世ランドへと向かった。 ルートは、ウェリントンでの冷ややかな出迎え、シドニーのパーズリー・ベイでの越冬キャンプ、アムンセンのフラム号の近くの氷上での突進、そして白瀬の故郷、にかほの記念館をたどる。南極のピンはおおよその位置である。
自ら新皇を名乗った反逆者、平将門は、東京・大手町の将門の首塚と神田明神に祀られている。茨城県には合戦の地、岐阜県には首の伝説が残る。 このルートでは、一族の争いと反乱、940年の死、飛んだ首の伝説、そして粗末に扱うと祟るといわれる東京の首塚をたどる。場所の一部は伝承による見立てであり、その旨を記している。
源頼朝は、鎌倉に日本初の幕府を開いた。このルートでは、伊豆での流人生活と三嶋大社から、大倉、平泉、鶴岡八幡宮までをたどる。 立ち寄る場所は、1160年の配流から、鎌倉での最初の邸宅、1189年の平泉の滅亡、1192年の幕府成立、頼朝の墓、そして後を継いだ北条氏の執権までの歩みを追うものだ。配流の地や墓など、一部の場所は伝承に基づく比定である。
日本の「金太郎」は、箱根に近い足柄山で育ち、熊と相撲をとっていたと伝えられる。やがて源頼光が足柄峠で出会い、家来にしたという。 このルートは、生誕地とされるいくつかの場所、小山や夕日の滝から、金時山と足柄峠を通り、鬼の酒呑童子が住む大江山までの民話をたどる。話には異同があるため、ほとんどのピンは実証された場所ではなく、伝承上の地を示している。
近藤勇と土方歳三が率いた新選組は、多摩地域の日野に始まり、函館で終わった。その物語は、京都の壬生寺と池田屋、鳥羽・伏見の戦い、そして板橋での近藤の処刑へと続く。 ルートは近藤勇と土方歳三の足跡を、日野の道場から戊辰戦争までたどる。今も訪れられる場所がいくつかあるが、ピンが正確な地点ではなく一帯を示している場所もある。
「リコリス・リコイル」の舞台は東京で、喫茶リコリコは錦糸町駅の近く、墨田区にある。錦糸公園、隅田川の水上バス、すみだ水族館、東京スカイツリーも近い。 このルートでは、喫茶店とその周辺の実在の街並みから、隅田川、両国、水族館をたどり、最終盤の舞台となる塔まで作品を追う。リコリコは架空の店であり、物語の塔と東京スカイツリーを結びつける見方は推測にすぎない。
歌川広重の「名所江戸百景」は、119枚の浮世絵からなる連作で、当時の江戸、つまり今の東京を描いている。日本橋、神田神社、不忍池、亀戸天神、増上寺、浅草の浅草寺などが登場する。 このルートは、そのうち7つの景色を版画の番号順にたどり、雪の日本橋から浅草寺の門前まで、今も訪ねられる場所と結びつけて歩く。有名な夕立の隅田川の橋と日本橋の地点は、ピンがおおよその位置である。
幕末の土佐藩士・坂本龍馬は、高知、長崎、京都の各地で今も語り継がれている。生誕地の記念碑から、亀山社中、寺田屋、近江屋まで。 このルートは、1836年の誕生から、1865年の亀山社中の設立、1866年の寺田屋の襲撃、1867年の近江屋での死までをたどり、龍馬の手紙を所蔵する桂浜の記念館で終わる。
三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台は、三重県の神島をモデルにした漁師の島・歌島。灯台、神社、廃墟となった監的哨跡があり、ファンが今も訪れている。 ルートは、若い漁師の新治と海女の初江を追って、島から沖縄の運天港での台風、そして灯台へと戻る。神島は島のモデルだが、小説では名前が変えられているため、島内の各スポットは同じおおよそのピンを共有している。
岩倉使節団は、1871年に横浜から出航し、サンフランシスコ、リバプール、シェフィールド、ウィンザー城などを経て、2年にわたり欧米を視察した日本の使節団である。 1871年から1873年にかけて、発足したばかりの明治政府の官僚約50人が、アメリカとヨーロッパの政治、軍事、経済、教育の制度を学んだ。このルートでは、イギリスでの行程を詳しくたどる。ブラッドフォード近郊の紡績工場、シェフィールドの邸宅、チャッツワース、そしてヴィクトリア女王への謁見である。横浜、サンフランシスコ、リバプールのピンは、正確な上陸地点ではなく、港や駅の一帯を示している。
日本の伝説に登場する九尾の狐、玉藻前は、中国の殷墟と京都の近衛天皇の宮廷を経て、那須の殺生石でその最期を迎える。 このルートでは、殷の宮廷の妲己から、那須野での狩り、毒を放つ石とその飛び散った破片までを、狐の跡を追ってたどる。伝説に正確な場所が挙げられることはほとんどないため、ほとんどのピンはおおよその位置である。
独眼竜と呼ばれた伊達政宗は米沢城で生まれ、仙台の藩主としてその生涯を閉じた。このルートでは、米沢、会津、岩出山、仙台城、松島の瑞巌寺、そして瑞鳳殿の霊廟をたどる。 1584年から1636年にかけて政宗が攻め取り、改築し、あるいは築いた城と、彼の死後も残る寺と墓を巡る。当時の建物の多くは失われており、跡地や再建された建物が中心となる。
「この世界の片隅に」は、第二次世界大戦中の日本の広島と呉を舞台にしている。浦野すずは江波で育ち、原爆ドームとなる建物で絵を描き、軍港の町・呉の家に嫁ぐ。 このルートは、こうの史代の物語を、すずの故郷である江波から、呉海軍工廠、そして1945年春に北條家が桜を見に出かける二河公園までたどる。呉にある北條家の家は、おおよその位置しか示せない。
日本の武僧・弁慶の伝説は、京都の五条大橋と清水寺から、石川県の安宅の関、平泉の衣川の古戦場まで続く。 弁慶は京の橋で若き源義経に敗れ、以後は最期まで仕えたと伝えられる。このルートは、その物語を5つの場所でたどり、決闘から有名な「弁慶の立ち往生」までを描く。話の多くは後世の文献に由来し、弁慶の時代の記録は一つも残っていない。
1877年の西南戦争は鹿児島で始まり、熊本城を包囲し、田原坂で激戦となり、西郷隆盛が命を落とした城山で終わった。このルートは、薩摩の士族軍の最初の進軍から最後の抵抗までをたどる。 六つの地点は、鹿児島城から熊本、人吉、可愛岳を経て鹿児島に戻る。うち三つは実際に訪れることができる確かなランドマークで、戦場と撤退の地点はおおよその位置である。
漱石の小説「こころ」の舞台は、鎌倉、雑司ヶ谷霊園、上野公園、乃木神社、そして東京の小石川の間にある。このルートは、学生の語り手と謎めいた「先生」の足跡を、作中に名前が出てくる場所でたどる。 夏の鎌倉の海岸から始まり、先生が毎月花を供える霊園、上野の桜、1912年の死が一切を変えた乃木大将の赤坂の家、そして先生がKの話を打ち明ける小石川をめぐる。小説に書かれているのは番地ではなく地区名なので、いくつかの地点は大まかな位置である。
「山椒大夫」は、奴隷として売られた貴族の子、安寿と厨子王を追う物語。新潟の直江津から京都府北部の丹後、そして佐渡島へと続く。1954年の溝口健二監督の映画と、1915年の森鷗外の小説は、どちらも古い語り物をもとにしている。 ルートは、家族が引き裂かれる直江津の橋から、由良と丹後国分寺を経て京都と佐渡へ進み、安寿の記憶が生き続ける岩木山で終わる。伝説は創作なので、ほとんどのピンはおおよその位置である。
1590年の小田原征伐は、神奈川県の小田原城を舞台に、豊臣秀吉が築いた石垣山一夜城と、鉢形、八王子、忍にあった北条方の拠点を巻き込んで戦われた。 秀吉の大軍は北条氏の本拠を取り囲み、他の軍勢は地域一帯の城を次々と攻め落とした。このルートは5つの城跡を通して、包囲戦から最後まで抵抗した城までの戦いをたどる。ほとんどは今も公園や城跡として訪れることができる。
宣教師フランシスコ・ザビエルは1549年に鹿児島に上陸し、2年以上を日本で過ごした。平戸や山口で布教したのち、京都へ向かったが、その旅は成功しなかった。 このルートは、鹿児島、平戸、山口、京都を巡るザビエルの足取りを、彼の生涯の日付とともにたどる。正確な場所は記録に残っていないため、ピンは町や地域を示している。
「平家物語」に登場する女武者の巴御前は、木曽義仲とともに、木曽谷から倶利伽羅峠、宇治川を経て、大津の義仲寺に近い粟津の戦いまで馬を駆った。 このルートは、信濃に始まる巴の伝説から、1184年の義仲の最期、そして尼になったとされる後半生の地までをたどる。晩年ははっきりせず、最後の地点は寺と地元の伝承に拠っている。