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Mapped Chronicles

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本おおよそ

若草物語:コンコード、オーチャード・ハウスとその先

『若草物語』の舞台は、コンコードをモデルにしたマサチューセッツ州の町だ。ルイザ・メイ・オルコットは、現在は博物館になっているオルコット家の家、オーチャード・ハウスでこれを書いた。マーチ姉妹の足跡を、コンコードからワシントン、ニース、レマン湖へとたどる。 このルートは、オルコット家が暮らし、のちに作品に使われる場面を演じて遊んだオーチャード・ハウスとウェイサイドを訪れたあと、物語に沿って外国へ向かう。ワシントンの病院、ニースのプロムナード・デ・ザングレ、レマン湖のシヨン城だ。コンコードの見どころは、マーチ家の家の元になった実在の家である。

5か所4/5か所訪問可
神話推定

アトランティス:失われた都市はどこにあったのか

アトランティスの話は、プラトンの二つの対話篇『ティマイオス』と『クリティアス』に由来する。探索者たちはその所在地を、サントリーニ島、ジブラルタル海峡、スパルテル堆、スペインのドニャーナ、モーリタニアのリシャット構造などに求めてきた。 このルートは、エジプトのサイスというプラトン自身が設定した語りの場から始まり、続いて提案された5つの候補地を訪ねる。最初のピン以外はすべて仮説であり、発見ではない。

6か所1/6か所訪問可
歴史おおよそ

涙の道:チェロキー族の強制移住、1835~1838年

「涙の道」は、チェロキー族をジョージア州からインディアン準州(オクラホマ)へ強制的に移住させた出来事で、ニュー・エコタ、レッド・クレイ、フォート・キャス、テネシー州のブライス・フェリー、フォート・ギブソンへと続く。 各地点は記録に残る出来事と結びついている。少数派が署名した条約、それを拒んだ評議会、1838年夏の収容所、川の渡河、そしてインディアン準州への到着。今は記念施設になっている場所もあれば、標識しか残っていない場所もある。フォート・キャスとフォート・ギブソンのピンはおおよその位置である。

5か所4/5か所訪問可
本推定

スリーピー・ホロウの伝説:タリータウンから教会の橋まで

ワシントン・アーヴィングの「スリーピー・ホロウの伝説」は、1790年ごろのニューヨーク州タリータウン近郊が舞台で、フィリップスバーグ・マナー、パトリオッツ・パーク、オールド・ダッチ教会、スリーピー・ホロウ墓地など、舞台とされる場所を今も訪ねることができる。 イカボッドはヴァン・タッセル農場のパーティーに馬で出かけ、帰りは幽霊の出る谷あいを抜けて教会のそばの橋を渡る。ルートはその夜をたどり、最初の場所はレイヴン・ロックだ。一部は訪問者のあいだの言い伝えにすぎず、各スポットにその旨を記してある。

5か所5/5か所訪問可
映画おおよそ

プリティ・ウーマン:ビバリーヒルズとハリウッドのロケ地

「プリティ・ウーマン」の舞台はロサンゼルスで、ハリウッド大通り、ビバリーヒルズのビバリー・ウィルシャー・ホテルとロデオ・ドライブが中心になり、サンフランシスコ・オペラでの一夜も描かれる。 このルートは、ヴィヴィアンとエドワードの1週間を物語の順にたどり、2人が出会うハリウッドの通りからオペラハウスまでを巡る。アンバサダー・ホテルのロビーやシカダでの夕食など、別の場所で撮影された場面もあり、各スポットでそのことを記している。

6か所5/6か所訪問可
ゲームおおよそ

オーバーウォッチのマップ(アメリカ大陸編):モデルになった実在の場所

オーバーウォッチ(2026年2月まではオーバーウォッチ 2という名称)は、アメリカ大陸のマップを実在の場所に置いている。ミッドタウンはニューヨークのグランド・セントラルで終わり、ニュー・クイーン・ストリートはトロント、ハバナはキューバ、パライゾはリオデジャネイロ、ハリウッドはロサンゼルスの映画撮影所だ。 このルートは、ハリウッドからリオまで、西から東へ7つのマップをたどる。メキシコの町ドラードも含まれるが、その見た目はイタリアの写真から生まれた。ヨーロッパ編とアフリカ・アジア編は別のルートにまとめてある。ピンは、地区をそのまま写したものではなく、モデルとなった実在の場所を示している。ドラードとルナサピは、モデルとなった実在の場所が挙げられていない架空の町なので、ピンがない。

7か所1/7か所訪問可
ゲームおおよそ

オーバーウォッチのマップ(ヨーロッパ編):モデルになった実在の場所

オーバーウォッチ(2026年2月まではオーバーウォッチ 2という名称)は、ヨーロッパのマップを実在の場所に置いている。キングス・ロウはロンドンの地区、サーキット・ロワイヤルはモンテカルロ、コロッセオはローマ、リアルトはヴェネツィア、エスペランサはポルトがモチーフだ。 このルートは、アイスランドのグリムスヴォトンからサンクトペテルブルク近郊のヴォルスカヤ・インダストリーまで、西から東へ11のマップをたどり、モード、実装時期、モデルとなった実在の場所を紹介する。アメリカ大陸編とアフリカ・アジア編は別のルートにまとめてある。ピンは、地区をそのまま写したものではなく、モデルとなった実在の場所やランドマークを示している。

11か所4/11か所訪問可
ゲームおおよそ

War Thunder:陸戦マップのモデルになった実在の場所

War Thunderの戦車マップは、実在の場所をもとにしている。スターリングラードのトラクター工場、バストーニュ、ヒュルトゲンの森、ケルン大聖堂、ベルリンの国会議事堂、ノヴォロシースク、ヴォロコラムスク、ブレスラウ(ヴロツワフ)、フォークランド諸島のダーウィン・ヒル、フルダ・ギャップなどだ。 開発者は、各マップが元の場所にどこまで近いかを説明している。スターリングラードの工場を写真から再現したものもあれば、実際の土地に着想を得ただけのレイアウトもある。このルートでは、そのうち10か所を歴史の順にたどり、それぞれの実在の場所で何があったかを短く添える。 ここでは、開発者が実在の地区をそのまま写している場合に限って「正確」と分類した。それ以外は「おおよそ」と記している。

10か所0/10か所訪問可
歴史おおよそ

空海:四国から中国、そして高野山へ

空海(弘法大師)は四国に生まれ、西安で学び、神護寺、東寺、そして高野山で真言宗を開いた。高野山の奥之院には、その御廟がある。 このルートは、この僧の足跡を、生誕地の善通寺から、唐の青龍寺、京都近郊の寺々、816年に彼が願い出た山の修行地まで追い、現在も僧たちが食事を運ぶ御廟で終わる。

6か所6/6か所訪問可
歴史推定

卑弥呼と邪馬台国:吉野ヶ里と纒向

女王卑弥呼の国、邪馬台国はどこにあったのか。有力な答えは二つある。九州北部の佐賀県にある吉野ヶ里と、奈良県桜井市の箸墓古墳のそばにある纒向である。 このルートは、壱岐島と志賀島の金印から、二つの対立する候補地へと、魏志倭人伝に記された卑弥呼の足跡をたどり、卑弥呼の墓とよく結びつけられる古墳で終わる。邪馬台国の所在地は今も決着していない。

5か所1/5か所訪問可
歴史推定

聖徳太子の足跡:飛鳥、斑鳩、法隆寺

聖徳太子ゆかりの寺院は、飛鳥の橘寺と飛鳥寺から、斑鳩の法隆寺と中宮寺、そして大阪の四天王寺へと続く。 このルートは、仏教を広めた摂政の足跡を、生誕の地と伝えられる場所から斑鳩の宮の跡、622年の死後に作られた刺繍までたどる。いくつかの年代は確かな記録ではなく寺の伝承に基づいており、生誕地は伝承の地として示している。

6か所2/6か所訪問可
歴史おおよそ

後醍醐天皇の足跡:隠岐配流から吉野へ

後醍醐天皇は、笠置寺での籠城、隠岐諸島への配流、船上山への脱出を経て、1333年に鎌倉幕府を倒し、最後は吉野で生涯を終えた。このルートでは、笠置から京都、そして南朝にいたる天皇の足跡をたどる。 6つの地点で1331年から1339年までを追う。笠置での失敗に終わった挙兵、隠岐での配流、船上山への脱出、京都での短い建武の新政、吉水神社に置かれた仮の御所、そして如意輪寺にある天皇の陵である。史料が地域や伝承しか伝えていないため、ピンがおおよその位置を示している場所もある。

6か所2/6か所訪問可
映画架空

Love Letter:小樽のロケ地めぐり

岩井俊二監督の「Love Letter」(1995年)は、雪の小樽と神戸が舞台だが、実際には小樽が両方の街を演じている。このルートでは、図書館にあたる旧日本郵船小樽支店、病院にあたる小樽市役所、入船十字街、手宮公園などのロケ地をめぐる。 出発点は、神戸の藤井家を演じた旧寿原邸で、博子から樹への手紙の足跡をたどる。見学できる場所もあれば、市の役所や公道もある。

5か所5/5か所訪問可
歴史おおよそ

楠木正成:千早城から湊川まで

日本を代表する忠義の武士、楠木正成は、大阪府の赤坂城と千早城で戦い、1336年に神戸の湊川で討死した。寺の学問所から東京の銅像まで、彼の生涯を5つの地点でたどる。 ルートは、彼が学んだ河内長野の観心寺から、名を高めた2つの山城、湊川の神社を経て、皇居のそばにある銅像へと続く。正確な場所がわからないところでは、ピンは一帯を示している。

5か所5/5か所訪問可
歴史おおよそ

シャクシャインの戦い:北海道のアイヌ蜂起

シャクシャインの戦い(1669年)は、アイヌが日本の松前藩に対して起こした蜂起で、北海道の新ひだか、松前城、国縫の間で戦われた。 ルートは、シベチャリ川での抗争から、松前での調停、国縫での戦い、ピイポクでの首長の死までをたどり、新ひだかのシャクシャイン像で終わる。おおよその位置で示した史跡もあり、その旨を明記している。

5か所1/5か所訪問可
映画おおよそ

東京物語:尾道・熱海・東京をめぐる小津安二郎作品のロケ地

「東京物語」(1953年)は、老夫婦が尾道から東京、温泉町の熱海へと旅する物語。浄土寺、上野公園、東京駅、大阪城などで撮影された。 このルートは映画の順に、有名な夜明けの場面の尾道の寺、足立区の郊外、熱海の防波堤、上野公園、東京駅、大阪城をたどる。熱海の防波堤など、当時の撮影場所のいくつかは今は残っていない。

6か所5/6か所訪問可
映画架空

ハチ公とハチの物語:大館から渋谷へ

「HACHI 約束の犬」と「ハチ公物語」の元になった実話は、ハチ公が生まれた秋田県の大館から、東京の渋谷駅のハチ公像、青山霊園、そして2009年の映画で「ベッドリッジ」の駅を演じたロードアイランド州の駅舎にまでおよぶ。 このルートは、秋田犬のハチ公が、東京帝国大学教授だった飼い主の上野英三郎が1925年5月21日に帰らなかったあとも、長く待ち続けた足跡をたどる。生まれた場所、駅、最後の朝、墓、そして2009年の映画のロケ地を巡る。映画の描写には、実際の歴史と異なる点もある。

5か所4/5か所訪問可
歴史おおよそ

日露戦争の戦跡:旅順、奉天、対馬海峡

1904年~05年の日露戦争は、旅順、鴨緑江、奉天、対馬海峡で戦われ、アメリカ・メイン州のポーツマスで終結した。 このルートは、1904年2月の旅順への最初の夜襲から、1905年9月に調印された講和条約までの戦争の流れをたどる。戦場のピンはおおよその位置で、正確なのは三笠とポーツマスの造船所だけである。

7か所1/7か所訪問可
映画架空

ウルヴァリン:SAMURAI ロケ地巡り:東京から鞆の浦へ

「ウルヴァリン:SAMURAI」(2013年)は東京と長崎を舞台にしているが、実際の撮影は増上寺、中銀カプセルタワービル、福山駅、鞆の浦の港で行われ、1945年の場面はシドニー近郊の保護区で撮られた。 ルートは、1945年8月の捕虜収容所から、東京での矢志田の葬儀、新幹線での格闘、ラブホテルの隠れ家を経て、漁港の鞆の浦で終わるローガンの足跡をたどる。いくつかの場面はオーストラリアで撮影され、中銀タワーはもう残っていない。

5か所3/5か所訪問可
歴史おおよそ

硫黄島の戦い:上陸海岸からアーリントンまで

硫黄島の戦いは1945年2月から3月にかけて、日本の小笠原諸島にある小さな火山島で行われ、黒い砂の上陸海岸から摺鉢山の山頂にまで及んだ。有名な旗揚げの写真は、バージニア州アーリントンの海兵隊戦争記念碑となった。 このルートは、2月19日の上陸から、摺鉢山での旗揚げ、北部の谷をめぐる戦い、アーリントンの記念碑、そして両軍の退役兵が同じ海岸で会した1985年の名誉の再会までをたどる。硫黄島そのものは、一般の訪問者には開放されていない。

5か所1/5か所訪問可
映画架空

ワイルド・スピード X3 TOKYO DRIFT ロケ地:渋谷と東京、本当の撮影場所

「ワイルド・スピード X3 TOKYO DRIFT」の舞台は東京だが、撮影の大半はロサンゼルスで行われた。実際の東京で最もよく知られているのは渋谷スクランブル交差点である。 ルートは、アリゾナの高校から、映画に登場するカーミーティング、ガレージ、峠道まで、主人公ショーン・ボズウェルの足跡をたどり、ホーソーン・プラザからサンガブリエル・ダムまで、東京の代役を務めたロサンゼルスの撮影地を紹介する。いくつかの場面のピンは、物語の舞台ではなく代役の場所に付けている。

7か所1/7か所訪問可
歴史おおよそ

沖縄戦1945:慶良間から摩文仁まで

1945年3月から6月にかけて行われた沖縄戦は、慶良間諸島と嘉手納の上陸海岸から、島の南部の首里城と摩文仁の丘まで及んだ。 このルートは、今も地図で見つけられる6つの場所で地上戦をたどる。最初の上陸から、あらゆる陣営の死者の名前が刻まれた平和の礎までである。いくつかの場所は慰霊の地であり、慶良間諸島と嘉数高地のピンはおおよその位置である。

6か所4/6か所訪問可
歴史おおよそ

篤姫:鹿児島から江戸城へ

NHKの2008年のドラマ「篤姫」は、薩摩の鹿児島と桜島から東京の江戸城まで、13代将軍の妻となった天璋院の足跡をたどる。 島津家の分家である今和泉島津家に生まれた於一は、島津斉彬の養女となって鶴丸城に入り、ペリーの黒船が来航した1853年に将軍家へと旅立つ。このルートは、ドラマの前半の薩摩から大奥までの5つの場所をたどる。今和泉のピンと久里浜の地点は、おおよその位置である。

5か所5/5か所訪問可
歴史推定

真田幸村:上田城から大坂の陣へ

真田幸村の物語は、上田城から九度山での蟄居、そして大坂城・真田丸・天王寺での最期の戦いへと続く。1600年には、はるかに大きな徳川軍を相手に上田城を守り抜き、1615年に世を去った。 このルートは、関ヶ原の戦いの頃から、高野山のふもとでの蟄居を経て、大坂冬の陣・夏の陣までをたどる。史料に正確な場所が書かれていないため、おおよその位置で示した史跡もある。

5か所4/5か所訪問可