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Mapped Chronicles

実在の旅 · 歴史

四国遍路:88ヶ所のうち7か寺

四国の島を、僧・空海の足跡をたどって寺から寺へと歩くことは、日本で最も古い巡礼のひとつである。

英語からの翻訳です。

作成:Mapped Chronicles editors7か所国: 日本GPX

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  1. 巡礼の札所の番号は、ここ阿波の鳴門から始まる。阿波は、四国の伝承で「発心の道場」と呼ばれる国で、最初の23か寺がある。伝承では、僧・行基が聖武天皇の代に開き、弘法大師として知られる空海が815年にここで21日間修行したという。長宗我部元親の軍勢は1582年にこの寺を焼いた。選ぶ道によって、全行程は徒歩でおよそ1,100から1,400キロメートルになる。その旅はここから始まる。

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  2. 高知は修行の道場で、16か寺があり、この寺は室戸岬にある。空海はこの岬で修行したと書き、近くの洞窟で虚空蔵求聞持法を修したと伝えられる。寺の伝承では、本尊を彫り、807年に寺を開いたという。1872年まで女人禁制で、女性は登り口の麓にある女人堂から祈った。

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    訪問のヒント: 岬の室戸から行ける。

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  3. 四国の南端、足摺岬に、空海が唐を発つ前に、法具の金剛杵を東に投げ、それがここに落ちたという伝説がある。山号には、どちらも「つまずく」を意味する二つの字が使われ、この地へたどり着くのがどれほど大変だったかを思い起こさせる。境内には今、亜熱帯の植物が育っている。

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    訪問のヒント: 足摺岬にあり、巡礼者に開かれている。

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  4. 愛媛には、菩提の道場である26か寺があり、石手寺には遍路で最も有名な伝説のひとつがある。衛門三郎の物語によれば、892年に生まれた赤子が「衛門三郎再来」と刻まれた石を握って生まれ、寺は石手寺の名を得た。最盛期には66の末寺を数えた。

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    訪問のヒント: 松山市で一般に開かれている。

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  5. 遍路の最高地点にあるこの寺は、徳島側の県境にある三好市に立ちながら、香川の最初の札所として数えられ、遍路の最後の「関所寺」である。標高912メートルで、88ヶ所のどの寺よりも高い。夏は斜面一面のアジサイと、秋の紅葉で知られ、冬はロープウェイで雪の中を登れる。

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    訪問のヒント: 寺へはロープウェイが通じ、冬も運行される。

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  6. 香川には、涅槃の道場とされる23か寺があり、空海はここ、今の善通寺市の出身である。伝承では、父・佐伯善通が与えた土地に建てられ、寺は彼の名を負っている。空海の師が住んだ長安の青龍寺を手本にしたといわれる。東の伽藍と、西の誕生院からなる配置は、1249年から続いている。

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    訪問のヒント: 善通寺市で一般に開かれている。

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  7. 最後の札所は、香川の讃岐にある大窪寺である。すべての寺を回り終えることは、結願または満願と呼ばれる。巡礼者はここの方丈堂に杖を納める。名は、空海が堂を建てたと伝えられる窪地に由来する。女性の参拝が許されたので、女の高野として栄えた。

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    訪問のヒント: 香川の讃岐で巡礼者に開かれている。

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